大慶寺(静岡県藤枝市) [寺/神社]
田沼意次が築いた相良城は、時の権力者の城らしく壮大な城であったが、失脚すると転封させられ、 城は政敵である松平定信の命により、破却されてしまった。 城跡には、建造物としての遺構は残っていないが、隣の藤枝市の大慶寺に御殿が移築されているとのことで、 田中城訪問後に寄ってみた。 門の正面に松と本堂がある。 この松は、久遠の松と呼ばれ、日蓮が植えたと伝わる樹齢750年の松である。 日本の名松100選にも選ばれている松。 | |
袴腰付き鐘楼堂。 鐘楼の手前にある鬼瓦は本堂の旧鬼瓦で、平成14年に屋根替えされた。 本堂を別の角度で見てみる。 | |
本堂の右側にある庫裏。 この庫裏が、相良城御殿を移築したもの。 豪華な御殿を破却するのは忍びないとのことで、払い下げられて移築されたのだが、確かに武家御殿の風貌はあるものの、 規模が伴っていない。 移築された際にかなり縮小されたか、明治以降に寺維持の為に縮小されていったのか、そんな感じだろう。 | |
庫裏の本堂側の玄関。 御殿時代は、ここは玄関ではなく、廊下で別棟と繋がっていたのではと思う。 | |
大慶寺は、田中城11代城主の田中氏の時代に藩主菩提寺となり、以降の家老や藩士が檀家となり、さむらい寺と呼ばれるほど、繁栄していたとのこと。 不幸にも、明治元年に田中藩は千葉の長尾藩へ国替となり、藩士の多くは千葉へ移って行った。多くの檀家を失った大慶寺は、再建に大変だっただろうと思う。 |