金沢城周辺の戦争遺跡 [戦争遺跡]
明治に入ってから金沢城は存城処分となったが、陸軍の所轄となり、日露戦争を見据えて、明治31年に陸軍第九師団が置かれた。 金沢は戦災を受けなかった為、これら陸軍の施設が多く残されている。 これらの金沢城周辺の戦跡を見ていくこととする。 | |
二の丸広場にある切手門を入ると、ちょっと場違いな洋館がポツンと建っている。 | |
これがその洋館。 この洋館は明治36年に建てられた、歩兵第六旅団司令部庁舎である。 戦後は金沢大学の施設として使われていたらしいが、今は倉庫となっている。 | |
基礎はレンガ積みとなっている。 通風孔の枠に陸軍の星マークが入っている。陸軍の施設ではよく見られる。 | |
後ろにまわると、真新しい建物が併設されている。元々庁舎には、渡り廊下とその先に湯沸し場や便所の別棟が在ったらしいので、それが復元されたのだろうか。 | |
本丸と二の丸の間の石垣をくり抜いて造られたトンネル。 このトンネルは、弾薬庫通路として造られたもの。 反対側から見るとこんな感じ。 今ではトンネルしか残っていないので、知らないとチラ見されておしまいな感じだ。 トンネルの先にある鶴丸倉庫。 幕末に建てられた土蔵造りの建物で、明治以降は被服倉庫として使用された。 石川門から兼六園へ向う。 人で溢れる兼六園は完全にスルーし、県立美術館の方へ向う。 その県立美術館の隣に兼六園広坂休憩館がある。 この休憩館は、陸軍第九師団長官舎だった建物である。 かなり改築、修築されているが、面影は残っていると思う。 | |
見学はご自由にとのことで、中に入ってみる。 内部の装飾や備品も今のものらしく、師団長官舎の面影や雰囲気が感じられなかった。 | |
美術館の隣に、3棟のレンガ倉庫が立ち並んでいる。 明治42年~大正3年に建てられた倉庫で、兵器庫として使われていた。 現在は、歴史博物館として開放されている。 3×13(14かも)スパンの非常に大きな倉庫で、3棟並んでる姿は圧巻。 鎧戸や鉄格子が兵器庫としての雰囲気をだしている。 護国神社の隣に2棟の洋風建築がある。 このバロック風建築は、金沢陸軍偕行社の建物で、明治31年に建てられた。 | |
通風孔の格子には、やはり陸軍の星マークが入っている。 | |
丸窓付きの破風や避雷針が印象的。 | |
金沢陸軍偕行社の隣に建っているのが、第九師団司令部庁舎。 元は二の丸に建っていたが、昭和43年にこちらに移築された。 移築の際、左右共に半分に切られたとのことで、ちょっとずんぐりした姿になっている。 場所の問題からだろうが、そのまま移築して欲しかったものだ。 第九師団は、日中戦争では南京攻略に参加し、その後は沖縄防衛の為首里に駐屯し、沖縄防衛の中核部隊となっていたが、台湾防衛の為、台湾へ転出されてしまい、結果アメリカと交戦しないまま終戦を迎えた師団となったのである。 参考文献:写真と地図で読む!知られざる大日本帝国の遺産 |