高知城(高知県高知市) [城]
高知城 山内一豊が、関ヶ原の合戦後に掛川より転封してきて、江ノ口川と鏡川に囲まれた大高坂山に築いた城。 この地は長宗我部氏も築城しようとしたが、洪水等によりうまくいかず、あきらめて浦戸城を築いた経緯があるところであったが、防衛、城下町の拡張を考えれば最適で、難工事の末築いた城である。 現存している天守閣は全国に12あるが、高知城はその1つ。 また、本丸御殿と共に現存している唯一の城でもある。 訪問時は大河ドラマ「功名が辻」を放映している頃で、いつも以上に観光が盛り上がっていた。 追手門。現存物件の1つで、享和元年(1801年)に再建されたもの。 | |
石垣には石桶が突き出しているのが、幾つか見れる。台風がよく通過する土地柄、地盤が緩み易く、石垣の崩落を防ぐ為の排水施設である。 石垣から排水させる暗渠はよく見かけるが、ここまで突き出したものはここでしか見たことがない。 | |
左に見えるのが詰門。 本丸と二の丸の空堀に架けられた施設で、二階部は渡櫓となっている、珍しい門だ。 詰門は、本丸の廊下門と接続し、さらに西多聞櫓と続いている。 | |
本丸の黒鉄門。 柱や扉に鉄板が打ち付けてあったことから名付けられた。普段は閉じられており、非常時のみ開門されたという。 | |
1753年に再建された四重六階の望楼型天守閣。 一豊が建てた天守は1727年に焼失してしまったが、創建当時の姿で再建されたとのこと。 移築された御殿や二の丸御殿は幾つか現存しているが、本丸御殿が現存しているは川越城と高知城だけである。 ましてや天守共に現存しているのは、高知城だけである。 二の丸から見た天守閣。 本丸、詰門方向からみた天守閣。 天守閣だけがポツンとあるより、他の建造物が併設してあるほうが断然絵になる。 | |
塀には忍返しが付いている。 忍び返しとなっているが、実際は武者返しだと思う。平時ではこの返しに掴まって進入し易いが、合戦時では効果あるだろう。 | |
本丸から見た詰門。 右奥が二の丸、手前が西多聞櫓、左奥が廊下櫓。 | |
本丸から見た黒鉄門。 左側にちょこっと見えるのが納戸櫓。 | |
三翠園ホテルに移築されている旧山内家下屋敷長屋。 | |
この時期、大河ドラマの「功名が辻」が放映しており、各地で盛り上がっていたが、これでもかって幟が立ちまくっていたのは、一豊が居城した高知城でも掛川城でもなく・・・・ ちょこっと寄った犬山城だった。 高知城を見た後、この日は市内のホテルに泊った。 チェックインしたら、即カツオのたたきを食いに行った。ウマーだったよ。 |