光源寺(新潟県上越市) [寺/神社]
五智国分寺から直江津駅方向に2,3分歩いたところに、光源寺がある。 車は五智国分寺の駐車場に停めたまま、光源寺に向った。 | |
五智国分寺から向うと、光元寺の裏手から入ることになるのだが、参道側から見ていくよ。 光源寺は、木曽義仲の家臣堀徳兵衛光政が、親鸞聖人に帰依し、この地に一宇を興して、覚円坊と称したのがはじまりである。1575年に教如上人から寺号を賜り、光源寺と改めたとのこと。 | |
山門。 戸無しの木戸門。 | |
山門入って、左側の木々の中にある鐘楼。 一見袴腰付き鐘楼なのだが、普通の鐘楼堂に壁を付けて囲ったもの。 立ち入り禁止の為だと思われるが、なんとも言えない、寸胴な堂だね。 | |
手水舎? 今風の水がちょろちょろと随時でてるものではなく、井戸になっている。 ポンプと溝の位置が微妙にズレているような.... | |
本堂。 親鸞はこの地へは流罪によって滞在していたのだが、その罪が許された際に自らを描いたとされる「御満悦の御影」が安置されている。 入母屋造り破風の意匠。丸窓にガラスが付けられていて、なかなか面白い。 堂は、江戸中期くらいの建立かな。 | |
本堂の裏にある、村上義清建立の供養塔。 古い石柱には村上義清墓となっており、それを建てた当時はそう言われていたのだろう。 今では、義清が父の供養に建てた供養塔となっている。 村上義清は北信濃の豪族で、武田信玄を2度も破った猛将。信玄の戦いにおいて、数少ない負け戦で、その大敗は砥石崩れと呼ばれている。 真田幸隆の調略により、砥石城が落ちてからは劣勢となり、長尾景虎(謙信)を頼り、越後へ落ち延びた。 | |
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