五智国分寺(新潟県上越市) [寺/神社]
大河ドラマ「風林火山」を放映している頃、信玄所縁の地巡りとして、山梨や長野をぶらり旅していたが、その締めくくりとして、 ライバルである上杉謙信所縁の場所に行った。 今、大河ドラマは天地人をやっており、ちょっとタイムリーかも。 (ただ記事書くのが遅いだけなんですが....) 春日山城を探索した後に向ったのが、五智国分寺。 天平年間に聖武天皇の勅願によって建立された越後国分寺を、1562年に上杉謙信によって現在の場所に再建したのが、 五智国分寺である。 | |
元の越後国分寺は、各地の国分寺と同様荒廃し、元の場所すらわからないという。 謙信が再興した後も、何度も火災を繰り返し、謙信が再建した時の建造物はない。 | |
仁王門。 1835年の再建。 訪問時は、ちょうど修築中であった。 | |
仁王像は、仁王門を再建した際に製作されたもの。 | |
仁王門から進むと左側にある木造の経蔵。 1693年に建立された堂で、上越市内では最古の建物。 | |
白山神社御旅所。 お旅所とは、祭礼時に神様が仮に鎮座する社殿のこと。 昔、国分寺で祭礼ができなくなったので、神社を松山に移転した。祭礼時には、神様が松山から国分寺内のこのお旅所に鎮座し、五智祭りが行われたという。 | |
三重塔。 寛政6年に焼失してしまったが、1856年に再建が着工された。 1865年に上棟されたが、高欄は未完のままである。手すりで連結されていない高欄の柱が、ちょっと面白い。 蟇股には、十二支が彫られている。 | |
本堂。 謙信が再建した後も何度も火災に遭い、現在の堂は、昭和63年に焼失した後、平成9年に再建されたもの。 境内社に秋葉神社でも勧請したらどうだろう..... | |
竹之内草庵。 親鸞が越後に流された際、滞在したのがこの国分寺である。滞在した際、草庵を結んで、その草庵が竹林に囲まれていたので、こう呼ばれるようになったという。 入母屋造りに唐破風玄関付きの堂で、唐破風の屋根が手前にも取り付けられている。この地方でよく見かけた形状だが、雪を落とし易くする構造なのだろうか? | |
最後に、境内から仁王門を見る。修築中だったのは、ちょっと残念だった。 |
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