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龍光寺(文京区本駒込) [江戸の風情]

本駒込駅前の交番横の小道を進み、少し進むと右側に脇道があるので、そこを曲がる。正面に小さな公園があり、そこを右に曲がると、そこが龍光寺の参道となっており、龍光寺へ向える。
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石造の門柱のみの山門。
1632年の創建で、開基は、讃岐丸亀城主京極高知と肥前唐津小笠原忠知。
2大名の開基の寺ではあるが、明治の廃仏で荒廃し、廃寺寸前であったらしい。
今では、堂宇は新築され、境内はきれに清掃してあり、明るい感じである。
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金毘羅堂。
丸亀藩の菩提寺だから、こちらにも勧請されたのだろう。元は、龍光寺の境内社で、参道前にある公園あたりあったが、戦災で焼失。先代の和尚が、金毘羅権現を肌身離さなかった為、焼失を免れたとのこと。戦後60年経って、平成19年に金毘羅堂を再建した。
今では全く面影もないのだが、根津には岡場所(歓楽街)が200年近くあったので、当時の金毘羅社の縁日は非常に賑やかだったようだ。根津の岡場所は、明治21年に加賀藩邸地に帝国大学が設立される際、州崎に移転させられた。
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面白みのない、コンクリの本堂。
右側に庫裏、左側が墓地となっている。
墓地に入って、左側にある唐津小笠原家の廟所。
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元は3箇所に分かれていたが、最近改修整備されたらしく、ここにまとめられたようだ。
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4代から11代の藩主と子息の墓で、すべて同形の笠塔婆。
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小笠原家廟所の手前に、石門と透垣に囲まれた宝篋印塔がある。3代藩主長祐の室、真流院の墓である。
真流院は、秋月藩初代藩主黒田長興の娘。
墓地に入って、右側にあるのが丸亀京極家の廟所。
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こちらも幾場所に分かれていたが、平成17年に改修整備されて、1箇所にまとめられた。
3代藩主高知の室・養性院の宝篋印塔を中央に、その手前に以降の藩主、室、子息の墓が左右2列に配置されている。
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京極家の墓は、唐破風付き石塔が基本になっているようだ。
大名墓について参考にしている「徳川将軍家・大名の墓」によると、取材当時は雑草が生い茂り、かなり荒れており、入るのに戸惑うほどで、墓も傾いているものや基壇に植木鉢が置かれている有様だったようだ。 いまでは、その光景を全く感じさせない程、整備されている。
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中央の3代藩主高知の室の墓は、石門と透垣がある宝篋印塔。
養性院は、津藩藤堂高次の娘。
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京極家廟所前に三宅観潤と栗山潜鋒の墓がある。
江戸中期の儒学者で、水戸光圀に仕えて、「大日本史」の編集に従事した。2人とも彰考館の総裁になっている。

龍光寺



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