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妙定院(港区芝公園) [江戸の風情]

宝珠院で閻魔詣したら帰ろうと思って赤羽橋駅へ向っていたら、妙定院の真新しい堂と練塀が見えたので、寄って見た。まったくチェックしてなかったのだが、なかなか見所の多く、何か非常に得した気分である。
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山門は薬医門。
脇は練塀となっている。このキレイな練塀は江戸時代からの遺構で、他の場所にあったのを移築したしたもの。練塀の移築って、瓦以外は現在のものだろうから、ほぼ新築なのでは。
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本堂。新木と白壁がキレイだ。
意匠がシンプルなので、よりキレイさを強調しているのかもしれない。
キレイキレイと、どこかの石けんの宣伝みたいに連呼してしまっているが、まず第一印象はこう感じるのだ。
この妙定院は、徳川9代将軍家重の大導師を勤めた、増上寺46世の妙誉定月僧正によって、家重の菩提のために開基した寺である。
また、明蔵を有して仏典研究・学問研究・念仏道場として知られていたという。
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堂宇は空襲によって、2つの蔵を除いて焼失してしまったが、災難はこれに留まらず、本堂の真後ろに首都高が開通したことにより、騒音、振動に悩まされ続けたという。
本堂再建にあたっては、昔ながらの建築意匠に最新の耐震技術を取り入れたとのことだ。
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江戸から現存している熊野堂。
熊野三社大権現を本尊として祭られていた鎮守社。
ここまでピカピカになってしまうと、どれだけ古材を使って修築したのかと思ってしまう。
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浄土堂。こちらも江戸からの現存物件。
この堂は境内の他の場所から解体移築された。
練塀と同様、蔵の解体といっても、ほぼ新築とか復元といったほうがいいかもしれない。ま、蔵そのものの寿命は、実は非常に短く、100年もてば良い方だ。そもそも長く使うには、修築、改築を繰り返すものなのである。
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1870年に作られた仏足石。
上面の千幅輪相(お釈迦様の足裏の相)が彫られており、側面には経典が刻まれている。
千幅輪相は彫りが浅いのと、石の模様で分かりづらい。
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仏足石の隣にあった石塔の一部。
周辺に三十三観音と思われる彫り物がある。
これだけでは三十三変化しないので、おそらくこの彫りは3段くらいあったのではないかと思う。
完成形で見てみたかった石塔だ。
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境内の外には、石造の災除地蔵が祀られている。
戦災前までは木造丈六地蔵像で、境内の地蔵堂に安置されていたという。その地蔵様は、戦災で焼失してしまったが、焼失を惜しむ声が多かったことから、焼け残ったその地蔵の守護札版木をもとに石像として再建されたとのこと。
表情が非常にやさしいお地蔵様で、惜しむ声が多かったのがわかる気がする。
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墓地に変わった墓石が見えたので、じっくり見たかったのだが、墓域では多くの人が工事作業をしていたので、今回は見送った。あとで調べたら、妙誉定月僧正の墓だったらしく、また近くに行ったら再訪するつもりだ。

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