SSブログ

才蔵寺(広島県広島市) [寺/神社]

関ヶ原の合戦で、一番武功を立てたと言われる武人が、可児才蔵である。
才蔵は宝蔵院流槍術の達人で、関ヶ原ではあまりに多く討ち取った為、笹の葉を口にくわえさせたと言われている。その為、「笹の才蔵」と言われることがある。
多くの君主に仕えたが、同じ武人としてウマが合ったのか、最後は福島正則に仕え、
福島正則が広島に移封してた際、従って広島に移ってきた。
その才蔵を祀る寺が、広島市東区東山町にある才蔵寺だ。

聖光寺から簡易な地図を元に向ったが、そろそろかなってところで、車1台しか通れない細道に突入し、
「道...合ってんのかな~」と思ってたら、ありました。
saizouji1.JPG
参道前の石仏群。
saizouji2.JPG
参道の細い階段。
saizouji3.JPG
鉄柵といった感じの山門。
説法や格言?が彫ってある石塔が多い寺だ。
saizouji4.JPG
階段脇には石仏が並べられており、ミニ霊場となっている。多分観音様だと思うが、記憶が定かではない。
左側に階段が見えるが、その先は更地になっていたので、墓地か堂が建つのかな。
境内に入って、正面に十字槍を構える可児才蔵像が鉄の城の如く聳える!
saizouji5.JPG
この像は、関ヶ原合戦屏風やその他の資料を参考にして再現したという。
甲冑が丸みを帯びていて迫力不足だが、十字槍と顔の迫力がそれらを払拭させる。
後ろに赤屋根は味噌地蔵の地蔵堂。
saizouji6.JPG
才蔵は晩年仏門に入り、栄養に多い味噌造りを勧めたり、城下の貧しい人に配ったりして、社会奉仕を行ったと伝わる。
また福島氏が改易になった際の戦いに備え、味噌を集めたという故事にちなんだのが、味噌地蔵とのことだ。ただ、才蔵が亡くなったのは1613年で、福島正則が広島城修築による武家諸法度違反とされ、川中島へ改易になったのは、1619年。ちょっとズレているが、正則が豊臣系大名として幕府から睨まれていたので、藩内はまだピリピリしていて、常在戦場的な雰囲気があったのかもしれない。
この味噌地蔵の頭に味噌を乗せると、合格が叶うという言われはじめ、受験シーズンは受験生で賑わうという。....って、結構近くに住んでたけど、全然知らなかったよ(笑)
手前の小さいお地蔵様が味噌地蔵で、後にある小袋に味噌が入っており、それを頭に乗せる。
saizouji7.JPG
門前の細い道を府中町方面に向う坂道は、昔から才蔵峠と呼ばれているようだ。

ちなみに、関ヶ原ウォーランドにある可児才蔵のコンクリ像はコレ
saizouji8.JPG
マウント(実はニーインザベリーだけど)からの鎧通しでの首へのトドメ。目が怖いです。

タグ:
nice!(10) 
共通テーマ:旅行

nice! 10