駒沢練兵場跡(世田谷区) [戦争遺跡]
三軒茶屋は人気のあるスポットが沢山あり、若者が多く集まる街である。 戦前は各部隊の営所が集まり、また駒場練兵場があり、これまた多くの人が集まる場所であったのだ。 今でもわずかながら残る、これらの遺構を見ていくこととする。 昭和女子大の南にある住宅地の中に古い木造建築がある。 これは野砲兵第一連隊の木造兵舎である。 多くの兵舎があったが、今では残るのはこの一棟のみ。 現在では一部韓国会館として使われている。 かなり歪んで傾いている。使われていない学校の校舎のような雰囲気である。 通っていた小学校にコレに似た木造校舎があったことを、ふと思い出した。 その校舎は、図工で年に1、2回使う程度で、そんなに行くこともないのだが、怪しさからかなり記憶に残っている。 やはりというか、いわくの話の1つや2つはあったが、今思えばたわいも無い話だったりする。 | |
先の兵舎の近くにある公園の片隅に大小の馬魂碑が建てられている。騎兵の馬や運搬用等、軍は多くの馬を必要とし、大切にされていたのだ。 | |
馬魂碑の近くに、「軍馬梨山号」と彫られた碑も建っている。誰かの愛馬だったのだろう。 | |
池尻大橋駅の南側の池尻あたりは、駒沢練兵場であった。 その北側に位置するところに、糧秣廠馬糧倉庫が現存している。 これが糧秣廠馬糧倉庫であった事を知らないと、はっきり言って軍の遺構であるとは、だれも思わない。 現在では、ヤマト運輸と生協の倉庫として使われている。 ちなみに糧秣廠馬糧倉庫とは、兵馬の餌を保管、管理していた倉庫のこと。 | |
糧秣廠馬糧倉庫の近くにある東京栄養食糧専門学校の脇道を進んだところに、陸軍の結界石が残っている。 | |
軍の遺構はほとんど消滅してしまっている上、知らないとスルーしてしまいそうな物件ばかりなので、文献等で下調べは必要だと思う。 今回は三軒茶屋~池尻の南側を探索したが、北側にも幾つか遺構が残っているので、いづれ探索するつもりだ。 参考文献:写真と地図で読む!知られざる軍都東京 洋泉社 東京とその近郊の戦跡巡りの入門書といった感じで、わかりやすい。掲載されている地図は、当時の施設の配置等はわかりやすいのだが、散歩に使うには簡易すぎるので、別の地図を持参するほうがいいかも。 |
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