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東都六地蔵巡り [江戸の風情]

本記事は2006年に別サイトにて掲載した記事であるが、本サイトに統合すべく、本サイトに移行したものである。
ほぼ当時の転載であるが、一部文章を追加修正してあります。

前に行った江戸六地蔵巡り
この六地蔵が作られる前に、6体の銅造地蔵尊像が存在しており、地蔵巡りがあったらしい。
文献からすると、江戸六地蔵より20年くらい早い。
江戸六地蔵と区別するために、「東都六地蔵」とか「始めの六地蔵」と言われるとのこと。
江戸六地蔵よりマイナー感が漂うが、これは現存してる地蔵が2体、寺自体も23区外への移転などがあり、元に場所にあったのは2社+1(本堂がなく、地蔵のみが路地にある)というありさまで、これが原因ではなかろうか。

浄光寺(六地蔵3番目)
toutorokujizou1.JPG
現在の地蔵は、1813年に再建されたもの。
寺は、隣にある諏訪神社の別当であり、明治の神仏分離で分離した。
toutorokujizou3.JPG
現在諏訪神社へ入る急な坂「地蔵坂」は、六地蔵へ参ることから名付けられた。
江戸の町でも屈指の名所だったが、悲しいかな全く面影なし。
toutorokujizou2.JPG
浄光寺の近くには、富士見坂があるが、都内に幾つかある富士見坂の中でも、実際に富士山が見えるのはココだけ!

瑞泰寺(六地蔵1番目)
toutorokujizou4.JPG
元の地蔵は、関東大震災で破損し、その後戦災で焼失したらしい。
現在の地蔵は、1986年に再建されたもの。
ちょっと頬がふっくらとしているお地蔵様である。

専念精舎(六地蔵2番目)
toutorokujizou5.JPG
専念寺は、戦災により焼失。地蔵だけが残った。
創建のままで現存する地蔵は、これ1体である。
なぜだがわからないが、区の指定文化財になってない。

江戸六地蔵が座像に対して、東都六地蔵は立像で、後に作られた江戸六地蔵が意識したのだろうか。
ちなみに、浄光寺の近くの富士見坂から富士山方向を眺めていたら、おばちゃんに声かけられた。
上野育ちの「自称ちゃきちゃきの江戸っ子」だと言うそのおばちゃんの話によると、富士山がよく見えるのは、秋頃の晴れた朝とのこと。
再三言ってるのだが、オレはこの手の方々に声をかけられやすいようだ(笑)
タグ:江戸の坂
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