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旧呉鎮守府長官官舎(広島県呉市) [戦争遺跡]

広島駅より約30分で呉に着く。
戦前の呉は海軍の鎮守府が置かれ、海軍の町そして軍都として発展していった。
戦艦大和が建造されたのは呉の海軍工廠で、それを記念して呉大和ミュージアムが2006年にオープンし、賑わいを見せている。これまで観光事業をことごとく失敗しまくってきた呉市にとって、予想を上回る大和ミュージアムの盛り上がりはうれしいことだろう。
大和ミュージアムに行くついでに、呉に残る軍都面影を探索してみた。

最初に向ったのが、呉市入船山記念館。
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入船山記念館の地は、元は呉鎮守府司令長官の官舎であったところである。官舎は、昭和20年の3度の空襲から免れ、現存している。
写真の門柱は大正3年の建立。
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門を入ってすぐ左側にある、東郷邸。
東郷平八郎が呉に在任中に住んでいた屋敷の離れ座敷を、こちらに移築したもの。
現在は休息場として利用されている。
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旧呉海軍工廠塔時計。
大正10年に海軍工廠造機部の屋上に設置されていたもので、昭和46年に記念館内に移設された。
昭和56年に現在の位置に復元し、今も時を刻んでいる。
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番兵塔。
長官官舎の入口に建っていたもの。
民俗資料館の裏にも屋根の形状こそは違うが、同タイプのモノがあった。
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往来安全石燈籠。
明治17年に旧街道に建てられた常夜燈。
4基あったうちの一つが移築された。
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昭和42年に高烏砲台跡から移築された、花崗岩造りの火薬庫。
現在は展示資料館として利用されている。
要塞の遺構は安全の問題から、内部をコンクリで埋めたり、立ち入り禁止にしてるケースがほとんどだが、このように遺構を修築して、何かに利用するのは賛成である。ただ、できれば移築ではなく、現地でやってほしい。
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館内に設置されている2本の砲身。
説明が全く無い為、何に搭載されていたものなのかわからない。
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旧呉鎮守府司令長官官舎。前部は洋館造で後部は和式造というハイブリッド建築。
司令長官の官舎としてはちょっと小振りで、威張った感じのない、非常に味のある建築だ。 kure9.JPG
屋根瓦が、天然ストレートの魚鱗葺きというのが海軍らしい。
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正面ドアのすりガラスには海軍のトレードマークである、桜と錨のマークが入っている。
官舎は戦後の10年間、占領軍の司令官官舎として使われた。
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後側の和式造。
洋館が接客場で、和式が生活の場となっている。
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民俗資料館に脇に細い階段があったので降りてみると...レンガ造りの倉庫が現れた。
いつ作られたものかは不明だが、戦前からあったものだろう。昔はここが資料館として使われたことがあるらしい。
向いにあるコンクリの建造物は、防空壕の入口。
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防空壕入口は階段脇にもあり、中で繋がっていたらしいが、現在はコンクリで埋められている。
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官舎の前庭の隅にある、水蓄式油槽鉄蓋。
説明板↓
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長官官舎だけでも見ごたえ十分だが、館内を歩きまくって、いろいろ発見してみよう。

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