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不動院(広島県広島市) [寺/神社]

足利尊氏が日本各地に設立した安国寺の1寺であったと言われ、安芸守護の武田氏の菩提寺として繁栄したが戦災で荒れ果ててたが、その後毛利の外交僧安国寺恵瓊が寺域を整え復興した。
原爆で木造建築のほとんどが壊滅した広島市にあって、国宝の金堂をはじめ、多くの文化財が伝わる、非常に貴重な寺である。

三間一戸の二階仁王門。国重文。
1594年の建立。安国寺恵瓊が、朝鮮出兵時に良材を持ち帰って建立したと伝わる。
安置されている仁王は、1294年製で県重文。

市内唯一の国宝である金堂。
大内氏が1540年に山口に建立したものを天正年間に移築したと伝わる。
禅宗様仏殿としては最大。
国宝となると、拝観料を取られ、警報センサや物々しい柵で囲まれたりと距離感を感じるのだが、そんなものが全く無い、とてもフレンドリーな感じである。
手入れの行き届いている松の木と金堂が非常に絵になる。
1433年に建立された鐘楼。国重文。
反りの大きい和様の禅宗様の軒を持つのが特徴。
石像の十三佛
不動堂。
福島正則が安芸に入国した際、正則の祈願僧である宥珍が当寺の住職となり、禅宗から真言宗へ改宗した。そのとき、本尊を不動明王としたので、以降不動院と称するようになった。
豊臣秀吉の遺髪の五輪塔墓。
恵瓊が髪を持ち帰ってきたのだろうか?
武田刑部少輔の五輪塔墓。
安芸武田家最後の当主武田信実と言われる。
安芸武田家は、甲斐武田家の分家筋。
恵瓊は安芸武田家の遺児とも言われており、その恵瓊が不動院の住職となるのは何か因縁めいたものを感じる。
恵瓊の無縫塔墓。
無縫塔なので、恵瓊は武将としてではなく、僧侶として葬られたようだ。関ヶ原の戦いでは西軍に付いた為、京都の建仁寺に潜んでるところを捕らえられ、京都六条河原で斬首された。
福島正則の宝篋院塔。
こちらは、慰霊碑のようである。
関ヶ原の合戦後に入封してきたのが福島正則で、約20年間広島の町造りに力を注ぎ込んだ。広島の町割りそのものは毛利輝元によって作られたが、実質的に経済発展させたのは正則の政策であり、広島における福島正則をもっと評価すべきだと思う。

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