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明星院(広島県広島市) [寺/神社]

鶴羽根神社より1分程度歩くと明星院の参道が現れる。
毛利輝元が吉田から広島へ移ってきた時にはあり、広島城の鬼門に当たるこの寺は藩の祈願寺とされ、末寺8ヶ寺を有する程の規模を誇った。
藩制時代からの名刹も、原爆によりほとんどの堂宇を一瞬で焼失したが、仁王門と赤穂義士堂は倒壊で済んだ。その赤穂義士堂に祀ってあった赤穂義士像も無事で、今も見ることができる。
境内の半分は幼稚園になってるが、それでも結構広い。
駐車場の壁の反対側は、七福神堂になっている。
不動堂の右側にある、毘沙門天像。
二葉山山麓七福神の1つ。
手には宝塔を持ち、虎を連れている。
毘沙門天は、寅の年生まれということで、虎を眷属として扱うことがある。よく狛犬の代わりに虎が安置されることがある。
不動堂。
七福神堂の先に鎮座する、水かけ不動尊。
制多迦童子、矜羯羅童子の二童子を従えている。
不動堂の左側にある、銭洗い不動尊。
説明板にあった一言
「ある時の倹約、ない時の辛抱」
仁王門。原爆で倒壊したが、修築されたもの。
数年前までは、焼きついた仁王が安置され、門自体も通路部の屋根が無く、阿と吽が分断されたようになっていたが、再建されたようである。

仁王門前の狛犬。年代はわからず。
境内には多くの石仏があるが、石や木をうまく使って安置しているので、雑然としていない。
銅製の子安観音。
本堂。
こちらに原爆でも焼失しなかった秘仏と赤穂義士木像が安置されている。

赤穂義士木像は明治期製で、表門隊を山田伊佐朗、裏門隊を岩田彦四によって作られた。楠の1木造りで、現存する義士像では最大である。上画像は、本尊右側にある、大石内蔵助率いた表門隊と天野屋利兵衛(座像)。

本尊の左側にある、大石主税率いた裏門隊。
広島藩浅野家は、赤穂藩浅野家の本家にあたることから、祈願寺である明星院に安置されたのだろう。

戦前は赤穂義士堂に安置されていたが、原爆で倒壊。焼失は免れ、奇跡的にすべてが残った。
赤穂義士木像は、必見。境内も非常に手入れされており、居心地のよい寺である。

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