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広島東照宮(広島県広島市) [寺/神社]

広島駅の新幹線口側(北口)側にある二葉山周辺は、広島城の鬼門方向であり、藩の鎮守の為、藩や藩主の加護のもと寺町が形成されていた。
爆心地より1.7km程度の為、各寺社も甚大な被害を受けたが、場所によっては全壊は免れたケースもあった。帰郷した際、これらの寺社を巡ってきた。

広島駅から10分程度歩いたところに、広島東照宮がある。この東照宮は1648年に藩主浅野光晃によって造営された。各地にある東照宮は、幕府への忠誠の為か、ゴマすりの為に造営されたが、浅野光晃の母は家康の三女だし、妻は家光の養女だったので、忠誠や尊敬の念で造営されたのだろう。
参道脇の石塔は被爆したもの。


神門は、翼廊付きの向唐門。玉垣が高い為、城のようである。
近くでみると、所々に赤が残っている。
色が紫外線で劣化していったのではなく、原爆の熱風で焼きついたのだろう。この門と翼廊は、東照宮に駐在していた通信兵の消火活動により、焼失を免れたという。
支柱が傾いている。これも原爆の爆風の影響だろう。
周辺より高い位置にあるこの建物が残ったのは奇跡である。
朱というより、オレンジな拝殿。
本殿、拝殿とも原爆で焼失。現在のは、昭和40年に再建されたもの。
御供所。これは被爆建物。
御供所とは、神の御食(神饌)を調理するところ。
出入り口は、通用口と供進口の2箇所あり、ここでは正面が供進口となる。

本地堂。被爆建物。
江戸時代は、家康の本地仏である薬師如来が祀られていたが、明治以降は神輿舎に転用された。数少ない、神仏習合の遺構。
修築中かと思ったが、どうやら文化財保護の為の木枠らしい。ビジュアル的にいかがなものか。
薬師如来はどこにいったのだろう?

福禄寿。
二葉山山麓七福神一つ。
本殿裏側にある、御神井。
左脇には、御神水が飲めるように水飲み場がある。
手水舎。被爆建物。
作られたのは造営当初からだと言われているが、蟇股などに室町風を残している。
柱には、樹脂の透明カバーがされている。
脇門。
戦国期の遺風らしいが、どこのものだったのかわからない。
高台にありながら、半数以上の建造物が焼失を免れたのはアンビリーバボーである。
広島に来た際は、ちょっと時間を作って訪れることをオススメする。

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