広島城(広島県広島市) [城]
2007年は近年稀にみるクソ暑い夏でしたが、その暑い中、広島に帰省した。 広島城(鯉城) |
二の丸に復元された表御門と平櫓。 明治維新後、多くの建物が破却されたが、二の丸の建物は比較的残っていたが... 原爆により一瞬にして焼失した。 現在のものは平成3年に毛利時代のものを復元している。戦前の古写真と比較して異なる部分が多少あるのだが、戦前まで現存していたものは、江戸、明治期にかなり修改築が施されたものだからである。 |
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二の丸に残る、被爆したユーカリ。 |
二の丸から見た、本丸の石垣。 南側の石垣はこのように黒いのだが、これは原爆によって、焼きついたせいである。 広島城は、爆心地より北へ約1km付近。 |
本丸の大手門である中御門跡。 枡形虎口。 この門も戦前まで毛利期の古式な枡形門が現存していたが、原爆で焼失。 |
本丸跡地に、戦後建てられた護国神社。 広島の初詣では最も賑わう。 カープがシーズン前に必勝祈願をするのがココ。 |
五重五階の古風な天守閣(北側より撮影)。昭和33年に外観復元されたコンクリ天守。 本来は、東と南に三層の小天守を渡櫓で連結した連結式天守であった。 築城当時は、天守の高さこそ大阪城より低かったが、天守群としてみれば、最大であった。 広い本丸にポツンと天守閣のみが建っている姿は、どことなく寂しい。 戦前は国宝に指定されていたが、原爆の爆風で倒壊。倒壊後の木材は被災者の薪や小屋となり、残りは県が売り払い、塩を購入して、被災者に配ったという。 |
南小天守の天守台。 右奥に見える石垣が渡櫓のもの。 |
東小天守の天守台。 戦前は、東側の渡櫓の半分は残っていた。 2つの小天守は明治維新後、早々に破却された。 渡櫓の半分が残っていたのは、この渡櫓に天守の登城口があったからだろう。 現在の入り口は、観光用。 |
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東側の冠木御門跡。 虎口ではないため、防御的に疑問をもたれることが多い。 |
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都市開発により、現在は本丸と二の丸だけとなってしまい、城跡としてはちょっと寂しい感がある。 二の丸の櫓や門が復元され、かなり様になってきたように、小天守を含め、天守閣周辺の整備を望む。 城内の明治以降の戦争遺跡(軍事施設跡)は、別途記事を書くこととする。 ■関連記事 広島城内の戦争遺跡(軍都廣島を見る) 三原城址(知将小早川隆景が築いた海の要塞) |