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東京飛行場(調布陸軍飛行場)門柱 [戦争遺跡]

1年前に調布陸軍飛行場跡を探索した時は電車と徒歩だった為、時間の問題から探しきれなかったり、武蔵野の森公園の掩体壕が整備中で、正面からしか見れななかったので、車にて再訪した。
■前回の探訪→ 「調布陸軍飛行場跡探索」

調布飛行場の管制塔から南に進むと、飛行場建設当時の「東京調布飛行場」の門柱が現れる。

向かって右側の門柱には「東東調布飛行場」と刻まれている。
京が東となっているのは、戦後進駐したアメリカ兵のイタズラだと言われている。

左の門柱には何も刻まれていない。

武蔵野の森公園を再訪。前回見落としていた箇所や変わった点をピックアップしてみる。

公園最北部にある玉石張り水路。
戦時中、飛行場周辺から水が浸入するのを防ぐ為に造られたもの。
戦時中で人手不足だった為、受刑者を使って造られたという。

掩体壕(大沢2号)。
前は上に土が被っていたが、最近落とされたようだ。
駐車場付近のエリアは非常に賑やかなのだが、掩体壕のある北部エリアは比較的人が少なく、のんびり散歩する感じだ。
そんな中で、ほとんどの家族やカップルがこの異様な建造物の前で足を止め、案内板を読んでいる。

前回見れなかった後ろ側。
規則的にエグられている。
人工的なものか、強度的な問題から経年劣化したのかわからない。

掩体壕(大沢1号)の後ろ側。
これも前回、正面からしか見れなかった。
大沢2号は、入り口と後ろの開口部の縁部をみてわかるように、コンクリがボロボロで保存状態は良くない。

大沢1号の横にある飛燕のブロンズ像。
よく見ればわかるように、プロペラ部が新しい。2号の案内板に貼ってあったビラ紙によると、イタズラで壊されたらしい。

悲しい話だ。
また起こるようだと、柵で囲われたり、ケースに入ってしまうかもしれない。

飛燕を下から見てみる。
実際、人目線では、こんな感じだっただろう。

今度は横から。
このブロンズ像による模型展示を企画した人は、非常にグッジョブだ。

飛燕戦闘機隊―帝都防空の華
飛行第244戦隊写真史
飛燕戦闘機隊―帝都防空の華、飛行第244戦隊写真史

「液冷戦闘機「飛燕」」(渡辺洋二著)を読んでから、飛燕について色々と調べてる際に購入した、飛燕を中心とした戦時中の調布飛行場の写真集。
作られた感の強いカットも多いが、当時の様子、雰囲気がよくわかる貴重な作品。
モノクロの写真を着色して、カラー写真っぽく見せてるのがあるのだが、これがなかなか出来がいい。


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