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陸軍登戸研究所遺構探索 [戦争遺跡]

母校の明治大学の生田校舎(神奈川県川崎市多摩区)は、陸軍登戸研究所の跡地に建てられた為、当時の遺構がいくつか現存している。
登戸研究所は、かの有名な「風船爆弾」や「万年筆型ピストル」など、気の抜けた兵器開発が行われていた他に、偽札製造所、枯草剤や毒薬などアングラな研究所であった。
当時の建造物は徐々に壊され、新しい校舎として変化していったが、いまでもいくつかの遺構が忘れ去られたかごとく、近代的な校舎の中にひっそりと佇んでいる。しかし現存している遺構も、取り壊し予定のものがあり、壊されたりどこかに移築される前に確認することにした。
校内にあった案内板に遺構跡を記入してみた。

黄色く塗ったところが、現存している遺構である。
本件とは関係ないが、青部が理工学部、緑部が農学部、赤部が共有施設。

農学部の裏手にある西南門から入って正面に見える弾薬庫。
学生時代は、この西南門から登校しており、いつも見るこのコンクリ建造物に興味があったが、中に入れないので外観鑑賞に留まっていたものだ。
都市伝説的な噂もあり、地下壕や地下トンネルがあるだの、入ったら出て来れないだの懐かしい限りだ。

西南門の左手側にある36号棟も遺構。
この建物は現在でも農学部の研究室として使用されており、内部、外観ともリペアされてるせいか、古さを感じさせない。
言われないと、わかんないかも。
戦時中は、毒薬等の研究が行われていたようだ。
この建物は、登戸研究所の資料館として、生まれ変わるとのこと。

農学部1号館の裏手の斜面にも弾薬庫跡がある。ここはかつてサークルの部室として使われたことがあるようだ。

1号館と2,3号館に挟まれる位置に、ちょっと場違いな木造建物が2棟出現する。
ここが3科の遺構で、偽札製造が行われたところである。
写真は5号棟(西側)。
本物以上の偽札と言われたものを作っていた施設には見えない。

3科は極秘中の極秘なセクションだった為、3科の建物は高い塀で囲まれていたらしい。

反対側。
廃墟を自然が飲み込もうとしてるようだ。

26号棟(東側)
こちらは、偽札の倉庫だったらしい。
もう10年以上も使われておらず、蔦で覆われ、窓ガラスも割れ放題で、廃墟化してるのが印象的だ。

この木造の2棟は、新校舎建設の為、取り壊し予定らしいのだが、保存(移築含む)の運動があり、今後の動向が気になるところだ。

1号館の裏手の斜面を上ったところ(案内板の青ライン)に、戦時中に特殊ロケット砲実験用レールが敷かれていたらしいので、土塁等の遺構が無いかと思い、行って見ると....
ヤギに睨まれた(w

目的の遺構はなし。

図書館の入り口の斜め前には、陸軍の★マーク入りの消火栓が残っている。
もちろん使えない。

学生会館の前のもう1つあり。
この学生会館は、校内にコンビニができるまではここに生協があり、学生の行き来が一番多いところだったのだが、今は昔で、静かな空間になっている。
ボロボロなアスファルト敷きもタイル敷きに変わり、消火栓も半分埋まってしまっている。

正門の守衛所の裏に動物慰霊塔がある。
実験で犠牲になった動物供養のために建てられたもの。

登校路門からの急な坂(実質的な正門はこっち)を上ったところにあるのが弥心神社。(今では生田神社と呼ばれている)
実験中に起きた事故で亡くなった研究員の供養のために建てられた。
創建の費用は、研究に対する国からの報奨金が当てられたという。
鳥居はやはりというか、神明鳥居。

境内に立つ「登戸研究所跡」の石碑。

校内に貼ってあった保険のポスター。
サトエリのB地区には、お約束通りにピンが刺さっている。
あまりのストレートさに、鼻で笑ってしまった。

明治大学生田校舎へは、小田急線生田駅から新宿方面へ線路沿いに徒歩7分程度。
撮影する場合は、入り口の守衛所でその旨を伝えること。


タグ:戦争遺跡
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